自転車の再検討

秋になってから自転車に乗ることが増えた。近所の図書館や美術館を訪ねるのに自転車に乗った。あるいは友達の家に呼ばれて、自転車に乗った。僕の今までの移動はほとんど徒歩か電車によるものだったが、人生23年目にして、自転車の利便性に改めて脚光が当てられている。

世田谷区の南には、東急大井町線田園都市線という強力な路線が敷かれており、このおかげで渋谷などの副都心、巨大なハブとの接続自体は容易である。こうした区外の要所へのアクセスは便利なのに対して、世田谷区内の移動には不便が生じる。大井町線田園都市線も、どちらかというと東西を横断する路線であるから、南北の交通には便利でない。

世田谷美術館の場所を確認するために開いた地図アプリを見てそのことに気づくと、僕は自転車を使ったほうがいいような気がした。バスという手段もあるが、そこここでいちいち停車するもどかしいシステムを採用しているが故に時間がかかる。自転車に乗れる足腰があるうちは自転車に乗った方がよいだろうと思った。金もかからない。

5年ほど使われていないという父親の自転車があったので、それに乗ることにした。たしかにハンドルやサドルに埃が積もっていて、タイヤの空気も抜けていた。濡れた雑巾で入念に拭き上げて、タイヤの空気も入れて、サドルに跨ってみると、父の自転車だから少しその位置が高かった。辛うじて靴の先が地面に触れるような状態だった。しかし、接続部が錆びているのか、サドルを下げようとしていくら力を加えても下がらなかった。サドルが高いままで僕は美術館へと向かった。

レールのない自転車は自在である。もし電車に乗ったならば遠回りしなければいけなかったところを真っ直ぐに進む。爽快な乗り心地だが、車道の左端を走る僕の右後ろから乗用車が追い抜いていくのにはいちいち肝が冷える。生身の人間が走行中の自動車に最も近づくのは、他でもないこの瞬間だろうと思う。

途中からギアチェンジの挙動が怪しいことに気づく。変なタイミングでチェーンがガタンと降りたり、チャリチャリ耳慣れない音が後方のタイヤから聞こえてきたりする。恐ろしいと思いながら、なんとか美術館に着いた。

美術館では、「土方久功と柚木沙弥郎」という企画展を見た。誰だか全然知らなかったが、土方久功は太平洋の南の島の民族と10年以上寝食を共にした人らしく、面白い絵や詩があった。「ぶたぶたくん」という絵本のシリーズもかわいくて読みたくなった。

出発前に自転車のライトがつくかどうか確認しなかったので、暗くなる前に家に向かうことにした。最近はもう寒い。自転車に乗ると特に寒い。日没も早まっているので、少し焦りながらきしむ自転車を漕いだ。

エクストラ・スタディー

大学の授業でプレゼンをした。これは演習型授業とかいうやつで、毎回ふたりの学生が生化学に関する論文を適当に選んできて、スライドや黒板を使ってその内容を発表する。この授業の一つの目的は、プレゼンの準備やその後の教授を交えた質疑を通して生化学の知見を深めることである。

もう一つの目的は、英語で論文を読んだり、英語による質問や回答をその場で考えたりするのに慣れることで、むしろこちらが主目的らしい。授業を担当する教授はネイティブの英語話者で、授業内で日本語が使われることはほぼない。

僕は、なんせ準備の期間が一週間もなかったので、とりあえずスライドだけ作って原稿は作らずその場でやり切ろうと思った。結局、やり切れたのかどうか怪しい出来になった。質疑では、わかる質問にはあーとかえーとか言いながらジェスチャーを使いつつ答えて、わからない質問には I don't know と言った。それで教授にはおおむね好評だった。

僕の英語はこれでも上達した方である。何か言われれば早口でなければ基本的には理解できるし、自分の考えも簡単なことなら伝えられる。しかし、今まで英語学習にかけた時間を考えると、こんなものかと思う。

高校の授業の一環で、英語の多読というのがあった。多読というのは、とにかく英語を多く読むという英語の学習法・指導法である。多読の時間には学習者向けの英語の本が満載の本棚が運ばれてきて、生徒はそこから本を選んで読んだ。

たまたま僕がとった本の裏表紙に「ネイティブの小学校高学年レベルの英語」と書いてあるのを見て思わず、友達に「これだけ英語をやってきて、やっと小学生レベルだと思うとがっかりする」と漏らした。その直後に、近くにいた英語の先生と目が合って、いかにもばつの悪そうな顔をしていたのを覚えている。そのことを思い出すと、たまに謝りたいような気がする。

また、一年ほど前に従兄の友達のオーストラリア人に浅草を案内したとき、ちょうど仲見世通りを歩きながら、彼も大学生だというので勉強についての話をした。彼は文学か何かを勉強していると言って、僕は生物学だと言った。英語を使うのかと聞かれて、今はまだだが、そのうち何もかも英語でやらないといけなくなるので準備をしていると言うと、それは英語圏に生まれた人に比べて相当な extra study だろうねというようなことを彼は言った。

その時、僕はその当を得た言い回しに感心さえしたのだが、口をついて出た返答はただ Yes という一語だった。僕は明らかに、Yes が表しうることよりも多くのことを感じたし、それをぜひ伝えたかったのだが。

研究室に入らせてくれ

新学期が始まった矢先、所属する学部の主任からこんなメールが来た。

件名:研究室希望調査について
本文:(前略)……研究室希望調査の結果、残念ながら皆さんは第5希望までの研究室への配属ができませんでした。
つきましては、第二回の希望調査を……(後略)

うちの大学の学生は、4年になると研究室に所属する。その目的は、目下のところは卒業論文を書くための指導を受けることであるが、学部生の9割超が大学院に進学する本学では、むしろ学部卒業後の修士課程、あるいはその先の博士課程における研究の準備をすることにある。

研究室希望調査とは、その名の通り、各学生が所属する研究室を決めるために行われる調査であり、集計された結果に基づいて学生が配属される。だが、1つの研究室あたり学生1〜3人しか新しく所属できないことから、全員の希望に沿った配属をすることは不可能であるがゆえに、成績のよい学生の希望を優先的に聞き入れて配属先を決定するという方法がとられる。となれば、必然的に、成績の良くない学生の希望が聞き入れられない場合が発生する。

そして、僕は成績がすこぶる良くない。

第5希望まで書けばどれかには入れるだろうと高をくくっていたが、よく考えたら研究室が5つあってもそこに新しく入れる学生は10人前後であり、その一方で、僕より成績の良い学生はこの学年に117人いるらしい。無理に決まっているのではないか。

僕には研究したい分野やテーマが特別あるわけではないので、希望した研究室に入れないことによる実際上の問題は特にないのだが、とにかく申し入れた内容が完全に却下されたということに関して、なんとなく残念だった。

そう、研究したい分野やテーマが特別あるわけではないのだが、ただ研究はしてみたいと思う。だから、分野は別に生物学でなくても構わないし、理系でなくても構わない。しかし、研究して新たな発見をすることそのものに興味がある、訳でもない。

僕は学術というものが知識を生む過程に興味がある、と言えばいいかもしれない。学術の一つの方法である科学は、現代において、主張に説得力を与えるうえで最も有効な手段とされている。科学的根拠があるのか、ないのか? これは感染症の拡大抑制に関しても、処理水の放出に関しても最も主要な論点であった。社会の意思決定の中枢には間違いなく科学が鎮座している。

しかし、科学者という仕事がなんなのか僕はよく知らないうえ、科学的に正しいとされる命題が必ず真であるとは限らないことを知っている。それは、たとえば統計的仮説検定がその定義において甘受している不確実性であったり、帰納という方法が結論の正しさを保証しないことを根拠とする。

だから、科学の内実を知るために科学者コミュニティに潜入したいと思う。そのためにはまず、院試の勉強をしないといけない。

興味なし

歳をとるにつれて興味のないものに接する機会が減ってしまうという事実に、もうお気づきだろうか。今の自分と小学生の頃の自分を比べると、日ごろ学校へ行き、授業を受けるという点こそ共通しているものの、活動の種類や授業のカバーする分野は比較にならないほど狭くなっている。

小学校の時間割を思い出してみよう。国語・算数・理科・社会の他にも、体育・図工・音楽・家庭科・書写(習字)……と、地域差はあるのだろうが、豊富な副教科を興味のあるなしにかかわらずやらされていたことを覚えているだろうか。そして、大学受験が近づくにつれて学ぶ分野は徐々に減っていき、驚くべきことに、今の自分が大学でやらされるのは上に挙げた九つの教科のうち、たった二つ(算数と理科)だけである。

大学は家庭科の実習型講義を行い味噌汁を作らせるべきだ、とか、図工を開講して粘土をこねさせるべきだ、という高等教育批判を行う訳ではない。しかし、ひとつの事実は、僕はもう料理をしようと自分から思わないと料理をできないし、水彩画を描こうと一念発起して休日に画材屋を訪ねて絵筆と絵の具とイーゼルを買わないと水彩画を描けないということである。歌を歌いたくないと思えば、いくつかの機会を回避して、一生歌わないこともできてしまう。

そう考えると、なにかを強制されることは実は貴重だったのだと思わされる。子供の頃は強制されたり、禁止されたりすることによる積極的な不自由に支配されていたが、現在の僕たちは、いわば消極的な不自由、目に見えない不自由のなかにいるのではないか。自分の行動を主体的に選択できるということは、裏を返せば、自分のしうる行動が自分の意志の及ぶ範疇に限定されるということである。

やりたくないことをやらされる機会が減ることの何が悪いのか、と思われるかもしれない。ヘタな絵はもう描きたくないし、身体を動かすのも疲れるだけだし、数式なんか死ぬまで見なくて結構、と思うかもしれないが、その一方で、絵画やスポーツ、数学の魅力に触れ、文字通り人生を捧げる人が数多く存在する。僕としては、それほどの大きな魅力を潜在的に持つこれらのものに対して、人生の序の口で絶縁を決め込んでしまうのはあまり時期尚早であると思う。

とはいえ、やはりわざわざ筆と絵の具を買いに行くのは容易なことではない。優しい強盗に今日のうちに画材屋へ行けと脅されでもしないと行かないと思う。たまに強制されることを欲することがある。

なぜ悪いことは重なって起こるのか

姉が旅行先の韓国で高熱を出した。なんとか帰りの便には乗れたというので、母が車で成田空港へ迎えに行った。姉は家に着くなり玄関から自分の部屋まで絵に描いたようなフラフラさで移動して、そのまま寝てしまった。熱は40度近くあった。

その晩に簡易検査キットで行ったコロナウイルスの抗原検査では陰性で、両親とも胸を撫で下ろした様子だったが、40度出てるんだからコロナでなくても苦しいのは苦しいだろうと思った。姉は小さい頃から旅行先ではしゃぎすぎて熱を出したことが何度かあって、今回もきっとそれだというようなことを母はしきりに言った。

翌日病院で検査すると陽性の結果が出て、やむなく姉は自宅で隔離されることになった。感染したことはもちろん、旅行の目的だった好きなアイドルグループのグッズとかは韓国で全然見つからなかったし、どこも人でごった返していて、要するに散々だったらしい。

それから2,3日するとその姉を看病していた母も熱を出して、母は姉の部屋で寝起きすることになった。とりあえずレトルトのお粥やスープはるさめを買ってきてそれを食べてもらった。母が病気で寝込むことは今まであまりなかったうえ、姉の部屋に布団を敷いて寝ている様子には家の造りが変わったような印象を受けて、なんとなく家が家でないような感じがした。

リビングで父と夕飯の惣菜を食べながら、悪いことには悪いことが重なるものだという迷信について考えた。独立の事象が生起する確率どうしがなにか超自然的な力によって連係すると考えるのはばかげたことだと思うが、確率はさておき、次に父や僕自身が感染する場合に備えておくべきだろうとは思った。家族全員が発熱するのが最もまずいシナリオなので、僕は母や姉と顔を合わせる時はもとより、父と話す際にも注意すべきだと思った。父か僕がすでに感染していて、ウイルスの潜伏期間にある可能性は十分にあったからである。

僕の実際に想像していた悪いことというのはこのくらいだったから、電車で嘔吐したという連絡を彼女から受けたのはまさに寝耳に水だった。学校で頭痛がして、早退する帰りの電車で2,3回吐いたという。悪いことは重なるものだと思わされた週だった。

今では姉も母も全快というわけではないが回復して、大事にならなくてよかったと思っている。彼女は吐いた次の日から元気だとか言って、病院にも行っていないので原因はわからない。僕はMRI検査を受けた方がいいと思う。

エアコンが壊れた

先週、リビングのエアコンが壊れた。突然という訳ではなく、数年前からときどき水が漏れるなどの不調をきたしていた。そもそも2011年製のものであったから、リモコンにエラーの表示が出た時は家族一同驚きも少なく、労いの気持ちすらあり、誰かが「そろそろ壊れると思っていた」などという典型的な後知恵バイアス的セリフを口に出しそうな空気だった。

家電の故障に対してほんのちょっぴり死に近い感覚を抱くのは、それらと我々の生活との距離が限りなく近いからだろうか。12年にわたってリビング、つまり食卓の空気の調和を担当してきたこの分厚い東芝のエアコンが電源プラグを抜かれ、残暑の季節に似合わぬ沈黙を壁の天井近くで堂々と晒す様はまるで弁慶のようではないか。

あえてエアコンの立場に立つなら、空調という仕事は家電のする仕事のうちもっとも目的が不可解なものであったろうと思う。たとえば、熱く、もっと熱く、これは電子レンジの仕事である。なんだかよくわからないが、私は熱するためにこの世に生まれたようだ、と電子レンジは思うことができるだろう。一方でテレビはこう思っている。電波を受信して、映像を流すために私は生まれたようだ。

しかし、エアコンはその12年の生涯で自分の使命を理解することができただろうか? 冷たい風を送れ、送れと言われて、しばらくすると、暖かい風を送れ、送れと言われる。冷房機能と暖房機能は、エアコンの仕組みについての図解を見ればわかるが、文字通り真逆のプロセスを経ている。時季によって全く逆のことを命令される家電をエアコンの他に知らない。山の上に石を運べ。運んでしばらくしたら、その石を山のふもとに運べ。これを繰り返せ。エアコンは、人間によるそういう不可解な命令に忍従する唯一の家電であるかもしれない。

その我慢強いエアコンも経年劣化には耐えられず、先日その役目を終えたのだが、家電の動物と異なる点は替えが利くところである。母と父は故障の数日後にヤマダ電機を訪ね、エアコンのカタログを2,3冊もらってきた。それから、何とかという三菱のエアコンの2023年モデル(毎年仕様が変わるのだろうか?)を選び、購入した。

それでヤマダ電機と提携しているらしい工事業者が我が家を訪れたのが昨日だった。室内機と室外機の寸法を測ったり状態を調べたりすると、工事費用を見積もって、15分ほどで去っていった。

次の日曜日に設置工事が行われると言ったから、そのときに故障したエアコンも撤去される。

KIRINJI『Steppin' Out』レビュー

6日にリリースされたKIRINJIのニューアルバム『Steppin' Out』を聞いた。音楽的なバラエティに富んでいながらKIRINJIらしいサウンドは全ての曲においてその基礎をなし、前作『crepuscular』より統一感のある仕上がりになっている。全体として高音域が抑えられ、その結果として例えばスネアは胴鳴りが強調されているが(シャリシャリ感が少なく、ポンポン言う)、おそらくここは好みが分かれる部分だと思う。また、楽曲の個性をシンセサイザーの音色によって引き立てようとする試みは『ネオ』や、もっと遡れば『DODECAGON』から見られるが、本アルバムではシンセサイザーが装飾以上の役割を演じ、より洗練された形で楽曲の本質的な部分を構成している(たとえば、「説得」のシンセベース)。

堀込高樹のボーカルもかなり良くなった。「Runner's High」の高音域の伸びはもちろんだし、「指先ひとつで」の微妙な抑揚の歌い出しはその歌唱自体がこの曲の雰囲気を伝えているといっていい。弟・堀込泰行の脱退によって初めてメインボーカルを務めることになった『11』の頃よりも明らかに向上していて、なにかボーカリストとしての矜持のようなものを感じさせる。

デビュー以来、KIRINJIは個人的なことから社会的なことまで幅広いスケールの物事を楽曲によって表現してきた(と僕は思っている)が、その傾向は本アルバムでも健在である。ソウルフルなサビと懇々と語るようなヴァースのギャップが魅力の「説得」は、インタビュー*1によれば堀込高樹自身が仕事のオファーを受ける際の心境を描いているという。その反面、いわゆる "トー横" にたむろする人々を題材にした 「I ♡ 歌舞伎町」は非常に社会的なテーマを扱った作品で、《アルファルトの上で死にたくはないから/そう、誰よりも早く大人になるしかなかったんだね》という詞はある青少年の陥った不条理な窮状とその辛さを巧みに表現している。

前掲のインタビュー記事によれば、本アルバムは "自分なりに明るいアルバムにしたいなと思って" 制作されたらしいが、僕がアルバムを通して感じたのは明るさというより現代に生きる人々に向けられた思慮深く強靭な優しさである。兄弟時代には難解で皮肉な歌詞を書く兄、と言われがちだった堀込高樹だが、ちょっと丸くなったような気がする。しかし、音楽的な探究の方面では未だアイデアを尽かす気配がない。KIRINJIは新曲が出たら必ず聞く数少ないアーティストの一人なので、さらなる活躍に期待している。

*1:KIRINJI『Steppin' Out』全曲解説 堀込高樹が語るポジティブなムードの背景 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39987