エクストラ・スタディー

大学の授業でプレゼンをした。これは演習型授業とかいうやつで、毎回ふたりの学生が生化学に関する論文を適当に選んできて、スライドや黒板を使ってその内容を発表する。この授業の一つの目的は、プレゼンの準備やその後の教授を交えた質疑を通して生化学の知見を深めることである。

もう一つの目的は、英語で論文を読んだり、英語による質問や回答をその場で考えたりするのに慣れることで、むしろこちらが主目的らしい。授業を担当する教授はネイティブの英語話者で、授業内で日本語が使われることはほぼない。

僕は、なんせ準備の期間が一週間もなかったので、とりあえずスライドだけ作って原稿は作らずその場でやり切ろうと思った。結局、やり切れたのかどうか怪しい出来になった。質疑では、わかる質問にはあーとかえーとか言いながらジェスチャーを使いつつ答えて、わからない質問には I don't know と言った。それで教授にはおおむね好評だった。

僕の英語はこれでも上達した方である。何か言われれば早口でなければ基本的には理解できるし、自分の考えも簡単なことなら伝えられる。しかし、今まで英語学習にかけた時間を考えると、こんなものかと思う。

高校の授業の一環で、英語の多読というのがあった。多読というのは、とにかく英語を多く読むという英語の学習法・指導法である。多読の時間には学習者向けの英語の本が満載の本棚が運ばれてきて、生徒はそこから本を選んで読んだ。

たまたま僕がとった本の裏表紙に「ネイティブの小学校高学年レベルの英語」と書いてあるのを見て思わず、友達に「これだけ英語をやってきて、やっと小学生レベルだと思うとがっかりする」と漏らした。その直後に、近くにいた英語の先生と目が合って、いかにもばつの悪そうな顔をしていたのを覚えている。そのことを思い出すと、たまに謝りたいような気がする。

また、一年ほど前に従兄の友達のオーストラリア人に浅草を案内したとき、ちょうど仲見世通りを歩きながら、彼も大学生だというので勉強についての話をした。彼は文学か何かを勉強していると言って、僕は生物学だと言った。英語を使うのかと聞かれて、今はまだだが、そのうち何もかも英語でやらないといけなくなるので準備をしていると言うと、それは英語圏に生まれた人に比べて相当な extra study だろうねというようなことを彼は言った。

その時、僕はその当を得た言い回しに感心さえしたのだが、口をついて出た返答はただ Yes という一語だった。僕は明らかに、Yes が表しうることよりも多くのことを感じたし、それをぜひ伝えたかったのだが。