僕とギター

ギターを始めたことのある人はたくさんいる。そして、ギターに挫折したことのある人も、あまりにもたくさんいる。しかし僕のように、部屋にギターが3本あるのにギターを弾けない人はちょっと珍しいんじゃないかと思う。ときどき眺めては他人の部屋のようだと思う。

最初にギターを弾きたいと思ったのはたぶん中学2年の頃だった。ギターをやりたい、と父に話してから何日か、あるいは何週間か経ったとき、家に中年の男がギターを持ってやってきた。父の学生時代のバンド仲間だという。今思えば、学校に行っていなくて、何かをしたいと言うこと自体が珍しくなってしまった息子が何かに興味を示したのを知って、父は非常に素早いアクションを起こしたのだ。それで、そのバンド仲間の方のギターを譲ってもらって、それからしばらく適当に弾いて、そのうち弾かなくなった。赤いボディのエレキギターは部屋に黙って残されることになった。

それから2年くらい経って、僕は高校の文化祭で、軽音部が体育館中に音を響かせているのを見た。こんな多くの生徒の前で弾けたらさぞ楽しいのだろうと思った。うちには、あの赤いギターがある。来年の文化祭では僕が弾いてやるのだと思って、再びギターを手に取って、しばらくの間ポロポロと弾いていた。リビングにいた父は、そんな僕の部屋から漏れるギターの音を聞いていたのだと思う。ある日突然黒いボディのエレキギターを持って部屋に入ってきたのだ。人はものを貰うとき、ありがとうと言うしかないので、ありがとうと言ったのだが、僕は自分で情報をあれこれ集めて、楽器屋に行って、自分のギターを選ぶという体験をしてみたかったので、複雑な気持ちであった。それが原因ということもないのだろうが、結局ギターは弾かなくなってしまったし、文化祭にも出なかった。

赤いエレキギターと、黒いエレキギターと、もう1本は姉が弾かなくなったので貰ったお下がりのアコギで、この3本が僕の部屋にある。

最初に僕はギターを弾けないと言ったが、それは半分嘘だ。今月の頭からまた始めたので、簡単なコードを使った曲くらいなら弾けるようになった。でも、Fはまだスムーズに弾けない。アルペジオとかもまだできない。

昨晩、父とギターのことについて少し話したのだが、赤いギターをくれたバンド仲間の方には、息子がギターをやりたいと言っているから譲ってもらえるギターはないかという連絡をその時したらしい。黒いギターはオークションで落札したらしい。それと、どっちもトレモロアームがつくモデルで、アームはたぶん家を探せばあるよ、と追加情報もくれた。僕とギターの歴史は、父のおせっかいの歴史でもある。